副検事になるための法律講座

そんなブログ沢山ありそうですが…

法律とは何か

1 「法律とは何か」という問いに答えられるようになったのは、いつ頃だったでしょうか。

  少なくとも学生の間ではなかったことは間違いないですね。法律の勉強を始めてから数年以上かかってますね。

2 初めて法律の定義を授業で教えられたときは、確か「法律とは、強制力を伴った社会規範である。」という定義の形だったと思います。

  …なんじゃそりゃ、ってなもんでしたね。詳しい説明もなく、これで分かったでしょう、みたいに話を進められて、「さっぱりわかんない。」と思った覚えがあります。

  今なら、「社会規範というのは、社会のルール。法律以外にも、校則とかマナーとか道徳とか、色んなルールが社会の中にはありますね。そういう中で、相手が嫌だと言っても無理やり守らせる力がある、というのが強制力がある、ということ。マナーとか道徳とかは、相手が嫌だと言ったら強制できないですね。校則も、学校の中では一定の強制力があるけど、学校から一歩出たら強制力はないですね。法律には、その国にいる限り法律を守るように相手に強制する力があるんです。」と、このくらいの説明を私だったらしますかね。当時もそう言ってくれれば、私も分かったのに。

3 もうちょっと法律とは何か、話してみましょう。法律と道徳、常識の比較です。

  道徳とか常識というのは、社会生活を送っている人たちは、大体みんな守ってることが多いですよね。例えば、電車の優先席ではお年寄りなどに席を譲りましょう、というのは、道徳や常識というルールですよね。ただ、法律とは違って、強制力がない。

  では、道徳や常識と、法律はどういう関係になるのでしょう?

  わたしは、道徳や常識という社会のルールの中で、「どうしても無理矢理絶対守らせなければならないルール」が、法律という形で強制力を与えられている、というイメージを持っています。

  …ま、色んな法律があるので、全部これで説明できないとは思いますが。あくまでイメージです。

  だから、法律という強制力を与えられるルールは、道徳や常識の中の、極一部だと思っています。

4 このことは、一般人の法律家に対するイメージからも言えると思います。

  一般人って、法律家に対して、「理屈をこねて非常識なことを主張したり議論する面倒臭い人たち」というようなイメージをきっと持っているでしょう(違うかな)。

  それは、法律家というのが、法律を使う場面は、その法律が適用されるか否かの境界線ギリギリの話になるからです。事実認定にせよ、法解釈にせよ、「こっちなら原告の勝ち、あっちなら被告の勝ち」「こっちなら有罪、あっちなら無罪」ということですよね。

  ところが、法律というのは、道徳や常識のうち極一部のルールですから、法律の適用がギリギリ問題になる事案というのは、一般人の感覚からすると、すでに「非道徳的、非常識」な状態なのです。

  まあ、道徳とか常識で解決がつくような事案なら、そもそも法律の問題になったりしないですからね。

  こうして、道徳や常識で解決できない事案を、法律で解決しようとする法律家は、一般人から「非道徳的、非常識」という目を向けられることが避けられないのです。

  ちなみに、「法律に違反してないんだから、いいじゃないか。」という趣旨の弁明が世間的に強烈な反発や拒否反応を引き起こすのも、実は、「法律に違反してなくたって、非道徳的、非常識なことはいけない。」ということを、一般人の方たちが直感的、本能的に理解しているからなんだろうな、と思います。

5 さらに、法律とは何か、という問いに対して、わたしは「判断のために引かれた一本の線」という答えももっています。

  この話は、また次の機会に。