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そんなブログ沢山ありそうですが…

憲法その7(令和4年答え合わせ)

1 令和4年憲法の答え合わせです。判例を問う問題で、知識がない中、どうやって守り切るか(=誤魔化すか)が課題でした。

2 研修誌の「設問の題意等」はあっさりしてます。研修教材五訂版憲法に関係判例等が記載されていること、過去に集会の自由の出題があったことを理由に「十分対処できる問題」という評価です。翻訳すると「基本的で簡単な問題」という意味でしょう。

  なお、先取りになりますが、集会の自由は①「泉佐野市民会館事件」、集団行進の自由は②「東京都公安条例事件」の判例を論じてほしい問題でした。どちらも最高裁判例検索サイトで本文が読めます。①は、具体的な事例について規制条例の条文解釈、違憲審査基準提立、当てはめをする判例ですが、②は、規制条例の条文解釈において、いわゆる合憲限定解釈をすべきとして原審破棄差し戻しをした判例です。②は、条文解釈の姿勢に焦点が当たっているように読める判例ですが、出題側としては、「単なる集会等の純粋な表現活動とは異なる集団行動の特性等を判示している」部分に着目し、論じてほしかったようです。②については、①に比して、判例を明示したり判例の内容を正確に論じている答案は少なかったそうです。まあ、そうでしょうね。

3 「答案の傾向等」で答え合わせします。

(1)問題提起部分は、21条の問題という指摘は、「ほぼ全ての受験生が気づいていた」そうです。ただ、出題者は「集会の自由は条文上明示的に保障されているが、集団行進の自由は条文上明示はされておらず、『集会』又は『その他一切の表現の自由』として保障されうるという点までの言及を期待していたようです。確かに条文から考え始めるとそうなりますよね。これはなるほどです。

(2)続けて表現の自由の重要性についてです。

  出題者は「自己実現や自己統治」という定型文言にとどまらず、集会等が多様な意見や情報に接し、伝達、交流したり発信する場である点への言及があると好印象、としています。

  私は、「意見交換」だけ言及したものの、そもそも定型文言に触れていませんでした。まあ、プラスマイマスゼロくらいの評価でしょうか。

(3)次に意見審査基準です。

  出題者はここで二重の基準への言及を求めています。私は、厳格な審査基準で望むべきとは論じたものの、二重の基準には触れませんでした。というのは、この問題を読んだ時に、「敢えて二重の基準とか意見審査基準の話に深入りしないように、具体的事例を示さず、抽象的に『集会の自由』『集団行進の自由』を論じさせようとしているのだろう」と考えたからです。実際の答案でも「一部、審査基準の枠組みに一切触れずに合憲、違憲という結論を導いている答案が見られた」そうです。こういう形式の問題でも、二重の基準を論じるのだ、ということは、頭に入れておいた方が良さそうです。①の判例中にも、わずかですが二重の基準に言及している部分があるくらいですし。なお、多くの答案は二重の基準に言及していたそうです。私の答案構成は、二重の基準に言及していない点で、評価は低くなるでしょう。仕方ありません。

(4)当てはめです。出題者は、それぞれ判例の事案を念頭に置いた検討ができている答案について「具体的・詳細に論証し、的確に審査基準を適用しているものが多かった」と好評価しています。事案を知っていれば、それはそうでしょう、という感じですね。事案を知らない場合にどうしたら良かったのでしょうか。

  私の答案構成は、集会の自由については、①の事案で問題となった、人の生命、身体、財産が損なわれる危険性を根拠とする制約、というものを、そもそも想定していませんでした。「判例同旨」とか無理やり書きましたが、空振りです。判例を知らないのがバレバレです。

  集団行進の自由についても、判例が指摘する「集合体に潜在する一種の物理的力」という特性には、私の答案構成では触れませんでした。なので、当然この点に関する規制目的、手段の審査基準への当てはめもできていません。判例の事案を知らないと、そもそも書けない問題でした。

4 総合評価ですが、論述の進め方は正しいものの、内容が薄く、しかも問題で求められている「判例に触れながら」の部分には全く答えられていない、と厳しい評価になるでしょう。判例以外の部分についても、二重の基準に触れていないマイナス点がありました。これ一発で不合格、とまでは思いませんが、ほかの科目でよほど点数を稼がないと、合格は厳しそうです。

5 なお、①の判例は、憲法の事例問題について、「こんなふうに検討を進めるんだな」という参考になると思います。まだ勉強を進めていない方は、①の判例を読んで、「砂上の楼閣」「机上の空論」みたいな印象を持つかも知れません。それは、憲法という特殊な法律の持つ特徴から来るものだと思います。

  憲法は、「最初に分かった気になって、結局最後まで分からない科目」と言われています。前段は「人権保障の重要性」「公共の福祉との調和」とか、概念的、抽象的には、比較的分かりやすい枠組みであることから、「分かった気に」なれるのです。しかし、実際の事例について憲法判断をしようとすると、本問に照らせば、憲法21条という短く概念的な表現の条文から、表現の自由の内容を解釈し、意見審査基準という条文にはどこにもそんなこと書いていないものを検討して提立した上で事例に当てはめて合憲、違憲を判断しなければなりません。民法や刑法の条文は、ある程度場合を分けて具体的に記載がありますが、憲法は場合分けがとても大まかです。どうしても、検討の仕方が「地に足がついていない」ように見えやすいのです。実は、足をつける地面がほぼない(=解釈すべき条文の記載がとても少なく、かつ概念的)のが原因で、これが憲法という法律の特徴なのです。①の判例も、それ以前の判例を複数引用するなどして、何とか地に足のついた検討を加えようと頑張っています。

6 まあ、今回は「残念賞」でした。