副検事になるための法律講座

そんなブログ沢山ありそうですが…

日本語

1 副検事を含めて、検察官は刑事事件を得意分野とする法律家です。そして、各種文書を起案して裁判所等に提出するのは、比較的大きな割合を占める仕事です。一方で、文書起案に割ける時間は、案外少なかったりします。特に、身柄関係の不服申立(勾留請求却下、保釈許可決定等への不服申立など)は、直ちに、かつ原決定を覆すだけの説得力を持った文書を起案しなければなりません。否認事件公判の論告は、時間はかけられるものの、どのような論理が説得的か、構成から考える必要があります。

2 こうして起案ができると、上司の決裁を受けます。そこでよく出てくるワードが「日本語」です。

 「日本語になってない」「日本語としておかしい」「日本語できるのか」などなど。

  よくあるのは、主語と述語が噛み合っていない、一文が長すぎて論理関係が曖昧になっている、言葉遣いがおかしい、などなど。

  言葉でよく槍玉に上がるのが「足蹴りする」ですね。警察官はよく使います。何か、記載例でもあるのでしょうか。検察庁では、「足蹴りする」は日本語ではありません。この言葉は、文法的にはある動詞の連用形のはずです。ラ行五段活用のようです。その終止形は・・・「足蹴る」。「足蹴る」は、流石に日本語としておかしいですよね。そうなると、「足蹴りする」も日本語としておかしいでしょう。

  こんな感じで、検察庁の文書決裁では「日本語」というワードが結構飛び交います。

3 しかし、特に他省庁出身の方にとっては、この「日本語になってない」等の言葉が、かなり厳しい言葉に聞こえるようです。それまで、文書についてそのような言い方で注意される機会がなかったのでしょう。何となくの印象ですが「小学生じゃないんだから」レベルで叱責されたように感じておられるような。

  実際はそうではありません。法律家の文書というのは、意味合いが明確に一つだけに限定され、論理的かつ説得的で、主張内容が明瞭に読み取れる必要があります。そもそも相互に利害が衝突しているもの同士(検察官と弁護人)や、絶対中立であろうとする第三者(裁判官)の間でやりとりする文書です。相手が文書の内容を善解してくれることを期待してはいけないのです。法律家にとって、言葉は商売道具です。そのレベルの「日本語」として、正しいかどうか、が問題とされるのです。

4 これは副検事試験の論述でも言われることと思いますが、一文が長いのは良くありません。もちろん、検察官に任官してからも、起案文書や供述調書について、一文を短くするように指導されます。これも「日本語」と関係しています。

  日本語というのは、言いたいことを何となく一つの文に詰め込んで並べると、相手が何となく頭の中で論理関係を整理してくれて意味が通じてしまいます。しかし、これは読み手に頼った文章の書き方です。それでは法律家の起案文書としては不十分です。ちゃんと論理関係を明確にして、短い文をつなげて意味を一義的かつ明確にする必要があるのです。

  副検事試験で書く論述は、自分が「分かっていますよ」とアピールするためのものです。読み手に甘えてはいけません。一文を短くできないのは、大抵、実は論理的な関係、順序が自分の頭の中で整理できていないのが原因であることが多いです。

5 なお、このブログは、そこまで厳密には書いていません。法律家が書く文書、一義的かつ論旨明解なために、含みや遊びの部分がありません。そういう文書は、刑事手続では有用でも、プライベートな時間には、あまり相応しくはないんですね。