副検事になるための法律講座

そんなブログ沢山ありそうですが…

勉強の仕方を考える

1 実際に副検事試験の受験勉強をされている方は、勉強の仕方を色々と考えておられると思います。その「考える」ということ自体が、すごく良いことだと思うのです。

2 大学受験とか、公務員試験とかには、予備校や塾ってありますよね。司法試験にも塾があります。こういう塾って、「これさえやっておけば合格間違い無し!」みたいな雰囲気を強く醸し出します。そう言えばお客さんたちが来てくれるし、そう言わないとあまりお客さんが来てくれませんから。まあ、塾も商売ですから、このようなことを言うこと自体は非難は出来ないでしょう。ただ、聞く方も、ちゃんとセールストークだと分かった上で聞く必要があります。実際に塾などが提示するやり方が最適なものかと言うと、決してそうではないでしょう。それは、塾が「支払われる受講料を超えるコストを授業等にかけることはない」という一点からもわかると思います。生徒個別のプログラムを作ってくれることもありません。コストがかかりすぎるからですね。結局、勉強の仕方というのは、出すべき結果、試験の場合は点数を取るべきテストの内容から逆算して、自分で考えるしかないのです。しかし、塾などはそうは言ってくれません。そんな当たり前のことを言ったら、お客さん減っちゃいます。

3 副検事試験の場合は、そういう塾とか典型的勉強法みたいなものがありません。ないからこそ、勉強の仕方を自分で考えるのが当たり前、と思えます。これは健全なことだと思います。私はよく山に例えて「麓から3合目まで登るイメージ」と言います。さらに、「どの道を登ってもOK」とも思っています。道によって、多少登りやすさの違いはあるでしょうが、大した違いはないと思います。それよりも、自分で、試験の内容を分析して、どのような能力を求められているのかを読み取り、自分でその能力を鍛え上げるにはどのようなトレーニング、勉強をしたら良いかを考え、実行する、という過程自体が、人としての能力を鍛え上げるのだと思います。この能力は、実際に合格して副検事に任官した後でも生かす機会が何度もあるでしょう。

  大学等や資格試験の受験に際して、塾が批判される本当の理由は、これなんだろうな、と感じています。つまり、「自分で自分を鍛え上げる訓練」の機会を奪ってしまうことです。塾というのは、この部分を代替するサービスを提供して買ってもらう、というビジネスモデルです。そして、目の前の結果を手に入れる点だけを考えれば、お金さえあれば(時間の短縮になるという意味で)合理的な選択です。したがって、塾産業はなくならない。そして批判もなくならない。さらに塾の利用者が増えれば、塾の敷いたレールに乗る人も増え、レールを敷く塾の影響力が高まり、やがて試験を実施する側のコントロールが効かなくなっていく。これが行き着くところまで行ったのが、旧の司法試験だったのだと思います。塾産業の影響力によって、試験の在り方が歪む様を、受験生として、塾産業の一員として、表から裏からじっくり見ることができました。試験委員は見事なもので、何があっても試験の出題レベルが落ちない。にもかかわらず、試験の在り方が塾の影響力で歪んでいく。なんだかすごい世界でした。

  これをぶっ壊そうとしたのが、新司法試験とロースクール導入ですね。旧体制をぶっ壊し、ロースクール制度もものすごい淘汰を見せましたが、塾産業は姿形を変えて生き残り、新たに生まれる。いたちごっこです。

4 だいぶ話がそれましたが、要するに「自分で勉強のやり方から考える」のが大事だということです。最近見てびっくりしたのですが、副検事試験の勉強の導入として、「模範答案を筆写することを何十通も繰り返す。」というものを勧めている方がいました。曰く、初学者がこれをやることで、論述のリズムとか型みたいなものが身につくのだそうです。人によっては、これが効果ある方もいるかも知れません。ただ、私自身が受験生だったら、やらないだろうな、と思います。自分の特性として「内容を理解していない作業を続けることができない」と知っているからです。こういう風に、「どんな能力が必要か」「どうやったら鍛えられるか」を自分で自分のために自分なりに考えるのが大切なのです。

  ちょっとまとまりがなくなりましたが、以上です。