副検事になるための法律講座

そんなブログ沢山ありそうですが…

法律の条文のイメージ

1 私は、法律の条文というものについて、「あっちとこっちを分ける一本の線」というイメージをもっています。

  犯罪か否かをイメージすると分かりやすいと思います。「あっちなら犯罪ではない。こっちなら犯罪になる。」みたいな感じです。

2 法律というのは、嫌がる相手に対しても、無理矢理強制的に守らせることができるルールでしたよね。

  その前提として、「ルール違反だ。」と断言できることが必要です。「このルールを破ったらいけない。」「しかしこれはルール違反。」「だから、ルールを守れ。」という順番でルールを強要できるのです。

  そしてルール違反かどうかを判断するためには、違反かどうかの境界線が必要です。これを定めるのが、法律の条文なんですね。

  要するに、「良いか駄目かの境界線を決める=条文を作る」ということなのです。

3 ところが、境界線である条文というのは、実は完璧なものではありません。作る時点でも、問題になり得る全ての場合を想定して条文を作ることは出来ません。「問題になり得る全ての場合」を事前に想定することは極めて困難だからです。

  さらに、条文が作られた後で、社会が進歩し、条文作成時に想定してなかった事態が起こることもあります。例えば、窃盗罪は、昔は有体物のみを対象としていました。しかし、その後に電気が普及し、電線を勝手に引っ張って電気を盗む輩が出てきました。ところが、電気は有体物ではありません。古い法律だけでは電気窃盗を処罰できなかったので、「電気は有体物ではないけれども、窃盗罪の対象である財物とみなす。」という条文を追加的に制定したのです。

4 そこで、法律の条文というのは、解釈が必要になるんですね。具体的には3つのパターンがあると思っています。①条文の文言が曖昧な場合、②条文がそもそもない場合、③条文の文言は明確なのだけど、明らかに誤っているか、極めて不合理な結論となる場合、の3つですね。②と③はレアケースなので、実際はほとんどが①の問題です。

  そして、いろんな裁判等の中で、いろんな主張がなされることで、条文解釈上の問題点が意識され、浮かび上がってきたりします。

  さっきの電気窃盗のケースでは、「電気を財物とみなす」という法律ができる前に、電気窃盗をした人が、「窃盗罪は『他人の財物を窃取』したら罰するとあるが、『財物とは有体物』という条文もある。電気は有体物ではないのだから、私がやった電気窃盗は窃盗罪には当たらない。」などと主張したのでしょう。まあ、捜査担当検察官が先に気づいたかもしれませんが。

5 こういう法律の条文解釈に関する法律家の主張というのは、イメージで言うと、良いと悪いの境界線ギリギリの事案について、境界線をお互いにちょびっとずつ引っ張り合っているような、そんな感じですね。

  一般の人から見ると、「そんなのどっちでもいい」というように見られがちです。ただ、利害関係のある当事者は、その解釈一つで、自分が刑務所に行くか行かないかが決まったり、大金を得たり払わされたりするわけです。

  こういう辺りも、法律家が一般の人から「細かいことにうるさい」とか見られがちな原因なんでしょうね。